忍者ブログ
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
profile
HN:
401
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/05/05
自己紹介:
全てに絶望、望むものなど何も無い。
Ⅰ Know, Ⅰ’m a Real Stupid.
Link
最新記事
最古記事
アーカイブ
…and nothing
PAGE | 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 | ADMIN | WRITE
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

友人がある歌を聴いて、「意味わかんねぇ歌詞。」と言った。
もうがっかり。何も言えん。ただ、ため息。

こんなことが前にもあったな・・・
知り合いのライブを観に行った時だ。
所謂、音響系と呼ばれる音楽があるが、そういった試みをやろうというライブだった。
全ての曲がそうではなく、一般的に言われる歌ものを数曲続け、ラストに一定のリズムと単調に繰り返すフレーズを基とし、ノイズや飛び道具的なエフェクト、それに加え生のギターとベースもアドリブで崩していく、といった最後には音階もテンポも無いものとなる様な曲だ。

もちろん、こういった類のものは一般の人には馴染みの薄いものだから、案の定「?」といった顔の客が多かった。

俺的には実に素晴らしいライブだと感じ、正にライブは生物ということを再認識させられたものだった。
選曲にしても演出にしてもそのステージは賞賛に値すると思えた。
ところがこのイベント、出演バンドの組み合わせが悪かった。
主催するバンドはアングラ系では名の知れた存在なのだが、同ジャンルのバンドを集める時間が無かったらしく、仕方無しにその辺のワケわからんコピーバンドをライブハウス側が適当に入れたらしい。

その為に、「?」という顔をする客が多かった。
俺の隣に、コピーバンドとその知り合いの客らしき男女入り混じった集団がいた。
彼等は俺の知り合いのステージが終わると、「こんなの音楽じゃねぇ」と言い放った。
俺はもうがっかり。というか呆れるばかり。
そう、「意味わからん歌詞」という言葉を聞いた時と同じ様に。

コピーバンドの方こそ、「それが音楽なの?」と聞きたくなるがね。
流行歌のコピーして何のオリジナリティも無けりゃ考えも無い。
そんなんで女とキャーキャー仲良くやってるんだから、本当に幸せな連中である。
本当のコピーってのは、他人の曲で自分なりの個性を生かさねばならないという、非常に難しいものである。それが出来てないで、ただコピーするだけのバンドばかりだったから、主催側も困惑顔だったのだろう。


人間の感情は、時に爆発的に高ぶることがある。
それを音や言葉にするというのは、まず不可能なこと。
言葉にならない時は叫ぶし、音にならない時は鍵盤を叩くだろう。
それこそが真実である。


そういった意味で知り合いのステージは賞賛に値すると俺は思ったわけである。
事実、外人さんは彼等に握手を求め、一方では「どのエフェクターでどうやってあの音を出してんだ?」とステージにかぶりつく機材オタク達。

まぁ、そういった玄人達の他に実に素晴らしい一般の客もいた。
コピーバンドを観に来ていた女の子、眼鏡を掛けた実に真面目そうな子だったのだが、困惑した表情をしながらも必死に理解しようと顔を上下させながらリズムを取り、視線はせわしなくステージ上の彼等の指先、あるいは表情を追いかけていた。
一聴して「わからない」と投げ出すバカな一般客がほとんど。ノイズが鳴り響く中、自分のフィルターを通し、理解、吸収しようしていた。

多分、理解は出来ていなかったのだろうが、何かしら感じるものがあったのだろう。
最後は
薄っすらと笑みを見せ、律儀な拍手を送っていた。
そんな彼女の姿に俺は感動を覚えた。
前にもこの話、ブログでしたけど・・・

今の世の中、何でもわかりやすいものであることが重要視されている。
その結果、人間の感性も鈍り、思考する力も衰えいくばかり。
人間は楽で快適な暮らしを手に入れる為、そうしてきたのだから仕方のない当然の結果。
それは進化とも言えるし、退化とも言える。人それぞれの感じ方だろうが。


最初に戻るが、歌詞の話ね。
わかりやすいところで、コブクロとかGLAYの歌詞を見てみる。
目に見える、手に取れる様な実に具体的なものである。
わかりやすいと言えばそうだが、そこにドラマは無い。芸術性も無い。
芸術性は無いのに飾られた言葉だけがある。
言ってしまえば誰にでも書ける類である。
人間に個性は要らない、万人が共感できるかどうか、それが全て。
だからラブソングなんてのは題材にしやすい。
「流行り歌の鉄則」という名の敷かれたレールをいかに速く、上手く曲がれるか。
過密なダイヤに追われ、自由に走れない電車の様な。そんな小さな世界での切磋琢磨である。

一方、「意味わからん」と言われたチバユウスケの詞。
一見すると確かに意味不明。
だが、その意味を理解するとそれまでの印象はがらりと変わる。

具体的な言葉を使えば人に伝えるのは容易である。
例えば「愛してる」という言葉。
これはたった一言で相手に気持ちを伝えられる非常に便利なものだが、それ故に「何がどうなって愛してる訳?」と突っ込まれる危険性がある。

チバの書き方では「愛してる」とは書かない。
では何を書くかと言うと、「何がどうなって結果としてこうなる」というそこまでのドラマを書く。
それは具体的であったり、比喩的であったり色々だが。

そして、共感を得ようとはしない。
自分の世界、気持ち、それをそのまま書いている。
人にとってはどうでもいいこと、それでも自分にとっては大切なもの。
だから伝わらなくても書く。

ある意味、それは自慰行為だが、己を貫く確固たる意志とも言える。
ピカソにしてもバッハにしても。

敷かれたレールなんてどうでもよくて、道なんてある様で無い荒野を行きたい方へハンドル切って止まりたきゃブレーキ踏んで・・・という車に近いものである。

幾ら自由度が前者よりあると言っても、これを鳥に例えてしまってはいかん。
チバの音楽は守るべきルールは守り、伝統を継承しようとしている。
もっと崩しても良いかと思う一面もあるが。

詞に関して言えば、チバはロマンチズム。
浅井健一は芸術的といったところか。
まぁどちらにしても感情的で官能的。

言葉なんてどうでもよい、ということを理解した上で言葉の大切さを理解していないと書けない類。
簡単に言ってしまえば、どうでもいいことはどうでもよくて、要所は締める、みたいな。
何にしてもそうだがね。


色々と書いたが全てどうでもいいことである。
生きる為に必要かと言われればそうではない。
ただ、心を豊かに生きたいのであれば、芸術、哲学、思想やら精神ってものに興味を持つのも悪くはないかと、ただそれだけのこと。


休日はとにかく世の中から自分を隔離したいので、外には出たくないのだが、買い物は俺の仕事なので仕方なく出かけた。
次の車は何がいいか思いつかぬまま、1.5リッタークラスに留めてその範囲で何が良いかな?と悶々と数ヶ月前から考えているのだが、今日もそんなことをぐだぐだと考えながらドラッグストアで買い物を終えて、駐車場の車に戻る。

隣にはビートルに乗った若い姉ちゃんが携帯で話してる。
そう、生きるのに必要なものは金。世の中、金が全てである。

知識や技術なんて全く必要ない。欲しい車に乗る為に必要なのは金。
友情や愛情なんてそんなものは綺麗事。生きるのに必要なのは金。

チバは「SILENT DAYS」の中で、「信じるものもないけど、こんな世界に未練は無い」と言っている。結婚後、「ハレルヤ」、「シェリル」といった曲ではポジティブな一面も垣間見せたが。

幸せな人間がそう思うのなら、俺がそう思うのは尚更当然のこと。
そう思う今日この頃、正にSILENT DAYSと言える様な昼下がり。

同じ様に虚空を見つめて・・・こうして全てを失っていくわけである。

PR

なんだか家に引きこもってドラクエばかりの生活をずっと続けてるのもなんだな・・・と思い、煙草を買うついでに30キロ程度の短めなドライブ。
この「短め」というのがミソである。

短い時間と距離でドライビングに集中。そして、早いペースで走る。短時間をチンタラと流してもしょうがない。

というわけで、いつものコースへ。
シフトランプが三段階というタイプのタコなのだが、普段の生活の中では大抵1つ目が点灯した位でシフトする。(1つ目は3000回転)
今日はきっちり三つ目まで使い切る走り。
と言っても4000回転。最大トルクが発生するのが4000なわけで、低馬力な車にはトルク重視で回した方がしっくりくるもんで。高回転型のエンジンでも無いし、4000以上は伸びないなんとも情けないエンジンで・・・そんな理由からシフトランプのピークは4000に設定。
キレてる時はリミットまで回すけど・・・

非力ながらも軽い車体、実質的な速さよりも体感的な速さを感じられるというのは、とてもエキサイティングなことだと思うし、紛れもなくスポーツだ。
そこに「ときめき」があると思う。

そんな観点から考えると、NEWスカイラインには「ときめき」が帰ってくるのだろうか?
見た感じにはR32の様なときめきは無さそうで、まぁ全く違った次元の車だろうが。
なんだかただの高級車の様で、つまらん顔。
日産の言う「ときめき」と消費者の求める「ときめき」にズレがある様に感じる。
まぁあの頃の技術者も随分とスバルに流れた影響なのか、ゴーン体制に変わった為なのかは知らんが。
「ときめき」よりも「煌めき」、なんだかそんな印象。
いずれにせよ、スカイラインは立派になり過ぎ。


話を戻して。
大きな力に包まれる充実感というのも素晴らしいものだが、日本の狭い道では使い切れないのが痛いところ。
小さくても使い切れる楽しみというのは非常に胸がスカッとするものだ。
道の細いワインディングで軽い車体をフットワークさせ、排気量が上の後続車達をミラーから消していく感覚はたまらないのである。
これもMT車であってこその利点。


生活の中で人を乗せることが度々あるが、そんな時に心地良く流して走るなら圧倒的にATの方が適している・・・というのが一般的だと思う。
人を乗せ、せわしくシフトするよりも大人しくATを選択する方が利口だな、なんて考えてAT車も次の候補として一応挙げていたが・・・

やはりワインディングをMTで走ったらそんな甘ったるい考えも吹っ飛ぶわ。
いくらセミオートマ車が増えたとは言え、直感的な操作感はMTには敵わないし、自由度が違う。
ある意味、機械に頼るよりも己の腕を磨くべきと再認識。
そう、何より非力なのは自分自身。


やっぱり車は一人で乗るのが一番楽しい。
車と人間、一対一で向き合ってこそ見えてくるものがある。


免許を取って今年で10年。今日走った道も10年の付き合いということになる。
振り返ると、安全に対する意識は高まったかと思う。
ここ数年だけど・・・
それでも吹っ飛ばしてばかりだから結局は何も変わっとらんね。
全く無駄な20万キロ+α(仕事の分)だった。
はぁ・・・ため息しか出ねぇ・・・

     131026.jpg

一体トヨタは何を考えているのだろうか?
オーリスに続き、ブレイドなるものを出してきた。
トヨタによれば、ゴルフやアウディA3などのCセグメントに対抗できる日本車が無かったから作ったとのことだが、全く「本気」を感じられない。

聞けばベースはオーリス。
ますます曖昧である。

ちょっとした車好きならばこの2台の違いを混乱することなく理解するであろうが、大して車に興味のない人間から見れば、「で、どこが違うの?」ということになるだろう。
日本の中で、特にトヨタにはよくある話だが。

先立って発表されたオーリスだが、「どこが直感性能なの?」とか「開発責任者を呼んで来い」だとか、中途半端な仕事に散々な評価が集中。

オーリスはディーラーで実物を見た。相変わらず質感の低いインテリアに何も言えませんわ。
そんなオーリスをベースにブレイドを作って本気でゴルフ等の輸入車に対抗出来ると思っているのだろうか?
インテリ日本人がこと人の心を掴むという分野で世界に通用しない理由をさっぱり理解しないまま、また新しい駄作を生んだと言っても過言ではない。
車はただの機械。たしかにそうだが、好きな人にとっては心ときめく憧れでもあり、すなわちただの機械にはならない。

どうでもいい人ならオーリスやブレイドで何の問題も無いだろう。
見ようによっては優秀な機械なのだから。


それにしても最近のトヨタは走りに関して良い声を聞かない。
マークXなんかも叩かれてる様で。


人間ってのは実に我儘で、安心感とエキサイティング感という全く両極にあるものを求める。
その二つをうまく両立させていたのは自分の経験の中ではレガシィとプジョー306だった。
まずは一台。たった一台で良い。
トヨタもそんな車を作ろうとすることが大事ではなかろうか?
その「たった一台」がどれだけ大変なことか思い知ることから、次の一歩が生まれるのでは?


手を変え品を変え、利益を出し成功しているトヨタだが、何だか飽きっぽい現代人を象徴している様だ。
トヨタが本物になるには「不変たる魅力」を作る努力が必要なのでは?
あんな小さな会社のスバルが「日本唯一のプレミアムブランド」と呼ばれるのは何故か考える必要がある。
いや、考えてその凄さを恐怖に思ったからこそ、スバルの株を買ったのだろう。
いやいや、恐怖に思ったならば、見習って車作りを変えることが必要だろうが。
まぁ、そうはせずに株主になるとは何ともトヨタらしい行動である。

ポルシェやランボルギーニだって、たった一つのことをコツコツと努力して今や本物と言われるまでになった。
BMWやゴルフだってオンリーワンと言えるプレミアム感を確立している。
そう考え、トヨタを見てみると・・・やっぱ無理か?

悲しいかな、高級車が得意な筈のトヨタに足りないもの、それがプレミアム感だと。
ショールームに並ぶトヨタ車の前で、そう思わされたのであった。

エネルギー放出の場、それは己の生きる場である。
当たり前のことだが。
俺はそいつが欲しくてたまらない。
だから週末は古傷が痛む様に疼く。
だが、どうしようもないから無駄な時間を生きるだけ。

俺は自分でそいつを奪った。
そうするしかなかったとも言えるし、その必要はなかったとも言える。


今更取り戻そうというのか・・・
無理だとわかっているのに。


なのに理性を押し退けようとする本能。
所詮、嘘を重ね続けるのが無理ということなのか。
マインドコントロールが下手クソなだけなのか。
はっきり言って下手クソ。全く何も出来てない。
己をコントロール出来ない者が何を手に出来るというのか?


かと言って本能剥き出しでも痛い目に合うだけ。

どちらにしても真っ直ぐには生きられない。
歪んでいるのは自分か、世の中か。

まぁ・・・どっちもか。


歪むと言えばグレッチの響き。
正に引き金・・・

送別会。
まぁどこの会社にも派閥なんてものが存在するもんで、仲の良い者同士だけで楽しくやっとりました。
それでも15人程集まり、結局三次会までほぼ全員が残った。

そんな中、友人から何度もメールやら電話が来ていた。
飲んでいたらしいが、「足が無くて困っている」と。
それなら飲むな、もしくは大人しく宅飲みしてろと言いたいところだが、所詮酒飲みに何を言っても無駄。

こっちもまさかの三次会だったのでさすがに友人の所には行けなかったが。


会社の皆はタクシーで帰った。
俺は会社に車を置いて来た。
金も無いので適当なところまで歩いてタクシーを拾おうかと。

全く世の中とは世知辛いものですな。
俺より20も年が上の営業マン達は、足が無くて困っている既婚の彼等より給料も少なくそのほとんどが独身。
営業マンとしてプロの仕事をしているのを俺はよく知っているのだが・・・

しかし、そんな彼等にもボーナスが出た。だが全く喜べない。
会社から売って来いと言われた薬は、売れる見込みの無い薬。
売れなきゃ自腹で買取。
まぁよくある話だが・・・

そんな彼等ですら幸せに辿り着けないのだから、俺の様なゴミにとっては尚更無関係であるという何よりの証拠である。


そんなことを思い出しながら歩いていると、また友人から電話。
俺は足が無くて困っているというのに全くいい御身分なことだ。
一体俺は何年彼等の足としてどれだけの距離を走ってきたのかと思うと腹が立つ。
まぁこんなことで腹が立つ俺は小さい人間なのだ。
だから俺は自分が嫌いでしょうがない。

そんなことをうだうだと考えてたらタクシーに乗るのもバカらしくなってきて結局会社まで1時間半歩いた。


結局、家に着いたのはAM 5:00。
寒いのは大の苦手だが、凛とした早朝の冷気に身をさらすのは好きだ。
ずっと歩いてたから寒くなかったけど。


忍者ブログ | [PR]

(C)stupid ブログ管理者 401
Blog Skin by TABLE E.NO.CH